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『時間』 
 
 
 
「やっと終わった……」
 
ぐん、と天井向けて大きな手を伸ばした桜井は、立って伸びをしたらグーパンチで天井ぶち抜くかもな、と予備校仲間にからかわれていた。
 
「進学決めてる奴ってさ、だいたい二年の終わりで部活引退するだろ? お前医者になりたいって言って、部活とかやってて良いのかよ?」
 
学校とは違う仲間達は、殆どが勉強一本に絞り、部活を引退した人間ばかりだった。
桜井だけがいまだに部活……バスケットボールを続け、それだけでは飽き足りず、数名以外には内緒だがストリートバスケにも顔を出す始末。
身長も体格も、頭も機転も良い。
やり手の桜井がチームから抜ければ、戦力大幅ダウンになること間違い無しだが、やはり先を見据えれば勉強に集中すべきではないかと話す。
 
「目標高いだけに、何時までもやってらんねぇんじゃない?」
 
「うちの部は、人数がギリギリいっぱいのところもあるし、俺が抜ければ試合には出られなくなるかも知れない。勉強も大切だが今、少しでも長く一緒にプレイしたい後輩が入って来たんだ。だからこの夏が終わるまで、インターハイ出場目指してプレイしたいんだ」
 
「おーおー、熱い熱い。意外と天然でクールなお前が、バスケの事になると、ホント熱くなるよな」
 
「つい、喋りすぎた……悪い」
 
「それだけ楽しいんなら良いじゃん。羨ましいし、嬉しいよ、そんな桜井見るの」
 
腹減ったし帰ろうぜ、と音頭とる仲間に付いて、片付け終わった人間から教室を出て行き、桜井も部活のものと教材の入ったバックを肩から担ぎ、予備校の教室を出た。
 
 
 
玄関まで纏まって来たが、また週明けにと挨拶をし、散り散りと帰宅の途に付く。
そんななか桜井は、予備校の隣にあるファストフード店の、道路に面したガラス窓の向こうにいる後輩へ、合図を送る。
部活後で腹が減っているのは判るが、一体いくつ食べたのだ?と、目の前に見えるトレーに乗った紙屑の山に、笑いが込み上げてくる桜井だった。  
笑われていることに拗ね、顔を赤くして頬を膨らませる後輩は、慌ててトレーを片付け、桜井と同じようにバックを肩から担ぐ。自動ドアの開く動作が遅いと、出来た隙間に身体を横にして押し込み、無理やり出てきた。
 
「無茶をするな、成瀬」
 
「おっ、お疲れ様です、桜井さんっ!! 待たせてしまって、すみません!!」
 
「待ってない、待ってない。今、このガラス越しに顔、見ていたじゃないか?」
 
先輩の桜井は予備校で勉強していたのに、後輩の成瀬はファストフード店で、仲間達と少し前までにぎやかしくしていたのだ。
腹も減り、勉強で疲れてるだろうに今日、成瀬の『お願い』を快く聞いてくれた優しい先輩にこれ以上、迷惑を掛けてはいけない。
その思いから急ぐ動作をするのだが、逆に空回りをしている後輩は、ドタバタと無駄な動きをしていた。
額に浮いた汗を拭い、一生懸命に行動する成瀬を見詰め、可愛いなぁと眼鏡の奥にある目を細める。
桜井は、白シャツに黒スラックスの成瀬の背に手を添え、少し食事がしたいとにこやかに話す。
 
「今から映画だろう? 見ている最中に腹が鳴ると恥ずかしいから、何か食べて良いか?」
 
「あ──じゃ、この店で一緒に食べれば……す、すみませんっ!!」
 
「あははは。ま、成瀬はもう食べないだろうから、映画館で荷物と一緒に待っていてくれ。その辺りで適当に、食べてくるから」
 
「え、えっと……一緒にいちゃ、ダメですか?」
 
桜井より約二十センチも小さな成瀬は、大きな黒い目で見上げる表情が、恋した人をひとり待つのは嫌だ、置いて行かないでと見えてしまう。
何て顔をするのだ──と。
親からはぐれないように手を握る子供の心理か、先輩へ身を寄せた後輩は、シャツから出ている逞しい腕に手を添えた。
 
「な……成瀬?」
 
「あ……あの、桜井さんの貴重な時間を俺にくれたのだから、一分一秒も無駄にしたくない。僅かでも離れているのは──嫌だ」
 
成瀬の手のひらは熱く、触れ合っている皮膚は更に熱を生み、どちらもじんわりと汗が滲んで来ていた。
初めてストリートバスケで戦った時から、淡く漂っていた感情。
同じ学校で先輩後輩の関係になり、共にコートを駆け回り、日常も共有する事になってから、更にその感情は膨れていた。
今、この姿を目の当たりにし、桜井の成瀬に対する『感情』は、決して消えることないものだと確信する。
 
「俺、今日、誕生日なんです……大好きな桜井さんと一緒に、少しでも一緒に居たくて映画に誘いました。勉強もあるのに、迷惑なのに桜井さんがオーケーしてくれて、嬉しかった。だから貴重な時間、無駄にしたくない」
 
成瀬もまた、桜井と同じ『感情』を抱いているのだと。
だから、このような恋をしている表情になるのかと。
桜井は判ったとだけ言い、週末の眠らない街を、はぐれてしまわないように手を握り、歩き始める。
力強い大きな手は熱く、その熱は成瀬の身体をじわりじわりと浸食して行く。
 
「お、怒りましたか?」
 
「いや。怒るどころか、明日が日曜日で良かったと……思っている」
 
食事も映画も、睡眠も目覚めも。
一緒に居ようと、前を向いたまま言う桜井を見上げた成瀬は、眼鏡の弦が引っかかる耳が赤くなっているのを見付ける。
返事の代わりに握られた手を握り返し、前を歩く先輩の背中を、空に浮かぶ月のように丸くした目で、嬉しいですと後輩は見詰めていた。
 
 
20190615
 
 
 
 
 
 
 
 
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